メイキング / プロダクションノート
想いは必ず伝わる。
この作品には、たくさんの想いが詰まっている。
原作者である中村すえこは勿論、監督である関顕嗣の想いは深い。
原作者との出会いは、3年前。
作品を読み、中村すえこという人物像と、彼女の生き方に感銘を受け、映画化を熱望したのが監督の関顕嗣だった。
構想3年。
映画化への想いは強いものの現実には色々な問題が有りなかなか具現化していかなかった。
キャストもおおよそ決定し、勢いよくまわりだす予定だった歯車は動きを速めることはく、気持ちとは裏腹にその動きを鈍らせていった…。
実現できないかも知れない。
周囲が思い始めた中、監督の想いだけは、鈍ることはなく動き続けていた。
そして、2010年8月。
縁が縁を呼び、止まっていた歯車は、一気にスピードを上げて回り始めた。
監督の想いに引き寄せられたスタッフが集結し、「この作品を映像化したい!」
“想い”が人を呼び、人が“想い”をカタチしていった。
この時から、息を吹き返した歯車は、止まっていたことが嘘だったように、大きく唸りをあげ
ただただ、スピードを上げて走り出していく。
オーディション。
“想い”がきっかけで動き始めた今作品は、“気持ち”を重視する作品となった。
2010年9月よりスタートした、
公募オーディションでは800名もの役者を志す方々からの応募があり、
第2次オーディションでは、彼らからの「出演したい!」という想いの元、
3日間に渡って監督・プロデューサー・原作者の審査が行われた。
レディース役のオーディションで、課題となったのはタイマンシーン。
参加者の熱い思いがぶつかり合う、迫力ある演技が続くなか、
監督も参加者の熱い思いに突き動かされ、その場で演出を付けていく。
その演出を受け、参加者のテンションもヒートアップ。
肌寒くなる時期ではあったが、オーディション会場では、出演者の“想い”と監督の“想い”がぶつかり合い熱気に包まれていた。
参加者の中には、「今の自分自身を変えたい。」「自分も同じ経験があり、今まで他人に迷惑たくさん掛けてきた。
今は何もできないけれど、今の自分にできる精いっぱいのことをこの映画でチャレンジしたい」など。
役者としてだけではなく、自分自身への挑戦で応募してきたものもいた。
ただの役者オーディションにはない、今作品だからこそ、集まった応募者の“想い”と監督の“想い”が、時にぶつかり合い、時に共鳴し合った3日間。
こういったたくさんの方の“想い”と“気持ち”を乗せた歯車は、更に加速していくのだった。
すべては、“想い”のもとに。
オーディションも終了し、今作品に欠かせない「紫優嬢」のメンバーが集結したリハーサル。
実在したレディースを演じるに当たり、リハーサル室は緊張に包まれていた。
埼玉の頂点を目指した、紫優嬢には、喧嘩シーンが欠かせない。
アクションとはいえ、気持ちがこもれば怪我に発展してしまうアクションシーン。
紫優嬢メンバーは役作りと合わせて、アクションを学んでいく。
それと同時に、リハーサルでは、
紫優嬢の四代目総長を務めた原作者、中村すえこを含め紫優嬢の元メンバーによる、紫優嬢魂が伝えられていった。
元紫優嬢と、紫優嬢になるために集まった女優達。
“想い”はここでも共鳴しあい伝説のレディースとなっていた「紫優嬢」は時を超えて、新たな伝説を生む最強チームとして生まれたのだった。
すべてのピースが集まった歯車は、最後の時まで、フルスロットルで加速し続けていった。
“想い”は“カタチへ
撮影が行われたのは、11月下旬。
連日14°〜15°の気温で、天候は恵まれたロケではあったが、
紫優嬢を演じる役者陣の衣装は、白いサラシと紫優嬢のシンボルである紫色の特攻服。
いくら天候がいいとはいえ、サラシのみで特攻服の撮影は、寒さとの戦い。
しかし、紫優嬢としてカメラ前に立つ彼女たちには、弱音を吐く者は誰一人いなかった。
そこにいたのは、女優ではなく、共に泣き、共に笑い、共に戦い、強さを求め続けた、伝説のレディース「紫優嬢」そのものだった。
3年前、監督の“想い”から生まれた作品は、たくさんの方の“想い”と繋がり、今、カタチとなって姿を現した。
「紫優嬢」
恋に、友情に、喧嘩に明け暮れ、強さを求め続けた伝説のレディースチーム。
紫色の特攻服を羽織ったすえこの物語が今始まる。
「ハードライフ 〜紫の青春・恋と喧嘩と特攻服〜」
チーフプロデューサー 嶋田豪